Part 1
2月 28
山荘を作ってみたいと思った皆様へ.。 管理人のJAC-Houseは手作りの山小屋です。1991年から建築を始め、現在までに少しずつ成長しています。 | |||
土地を探していました。 | |||
別荘というものでもなくていいのでとにかく遊べる場所が欲しかったのです。 ずいぶん伊豆付近を探しました。伊豆スカイラインに我が家でも買えそうな物件があったので ほとんどその気になったのが1989年頃でした。 不動産屋さんに案内してもらったのですが、なにか様子がおかしい。 どうやら持ち主が亡くなったようで手放した土地のようです。 確かにお値段は安かった。 そして、現地に着いて区画番号を見て納得。 なんと42番だったのです。 縁起をかつぐほどではないのですが、 やっぱりあきらめてしまったのです。 西側に沼津湾と富士山が見える良い場所だったのですが。:-) | |||
ある朝の新聞広告 | |||
1990年秋。 ある朝の新聞広告で長野県小県郡の土地が目に入りました。 いままで、伊豆中心に探していたのですが、よくよく考えてみると我が家はスキーが大好き。ここもよさそうと思い現地まで出かけました。すでに販売日を1週間過ぎていて、十数件のうち残りは3つです。 どうも、3つの1つはキャンセルがあったようで一番条件の良い場所でした。そして、即決。 契約したのが現在の場所です。 | |||
場所にあわせて四輪駆動車を手に入れました。 | |||
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まずは物置とトイレから | |||
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地元の建築屋さん | |||
立てる場所はご覧のように斜面です。基礎工事を1人でするにはキツイ場所でした。 スコップだけで、すこしでも 平らにしなくてはなりません。そんな作業を近くで建築していた地元の建築屋さんが見に来てくれたのです。 おじさん:「なにやってんのぉ」。 わたし :「1人で家を建てたいのですけど」。 いろいろとわたしの夢を話していたら おじさん:「なら、その夢かなえさせてやるよ」 といってくれました。 なんとラッキー。 おじさん:「ログでもかぃ?」 わたし :「ログいいですよね」 おじさん:「でもね、あんまり薦めないよ。日本の風土に合わないから」。 その言葉で納得。 在来工法で行くことになりました。 材料はこの建築屋さんからFAXにて注文しそして、届けてもらうようになったのです。そして、建築現場にあるようなトイレと水道を引きました。 |
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台風の中で建築 | |||
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ひと部屋完成 | |||
1991年11月。 なんとか6畳という小さい部屋ができあがりました。そして、ベランダもつけ作業がしやすくなったわけです。「電気はどうされましたか?」そうなんです。電気は仮設備をつける事もできるのですが、1ヶ月に数回しかこれないので料金が無駄になります。 そこで、考えたのがエンジン発電機。これで、ドリルも丸ノコも使えました。 1991年12月大体の作業が終わったので電気を中部電力さんから引きました。 | |||
初めてのクリスマス | |||
建築を始めて8ヶ月。 初めてのクリスマスです。 内装もまだ完全ではないのですが、年末過ごしました。 クリスマスケーキということで、アイスクリームケーキを買いました。 デザートということで、外に置いておいたのですが、いざ食べようと部屋に持ち込んだら、ケーキがかちこちになっていて、包丁が入りません。 苦労しながら端っこを削ぎ落とすように食べました。 やっぱり寒いんです。 | |||
2月の大雪 | |||
1992年2月。 FCCVの仲間とスキーに来たのですが。 わたしは会社を早めに切り上げ午後6時に東京を出発。 例年にない大雪でした。 いつもなら4時間くらいでつくのも、6時間。 その後から東京をでたFCCV組は高速道路閉鎖で一般道を走って午前2時過ぎには近くの笠取峠付いたものの大型トラックの往生で身動きができなくなり 到着が午前4時でした。 その後、ブランシュたかやまへ行きましたが、高速道路閉鎖とあっていつも満車の駐車場も3分の1しか埋まりません。とうぜん、ゲレンデも空き空きです。 | |||
増築開始します。 | |||
JAC-NETという草の根BBSを1988年からやっていた関係で 山小屋制作を手伝ってくれる人が現れました。 このとき、一人で建築をやるのと数人でやるのと桁違いに 作業が進むし、危険な作業も危険でなくなることを知りました。 それはともかく2Fの建築開始です。 1Fを作るときに2Fのことを考慮して、接続部分をいろいろと 残しておいたので、比較的簡単に増築ができました。 7月は梅雨なので雨に降られながらも作業をしました。 完成したのは9月の事でした。 |